可能な限り現存部品をそのままに
ヤマハピアノのふるさと・掛川工場。その一角にYPSの掛川センターがあります。塗装や研磨設備のある1階を抜け、2階に上がると修復・再生を待つピアノが並び、さらに奥へ進むと熟練の技術者たちが作業する工房スペースへと続きます。
2024年春、その工房に一台の見慣れないピアノがありました。小型のアップライトピアノに比べてもさらに小さく、一見オルガンのような形をしていますが、近づいてみるとアクション、弦、響板があり、たしかにそれはピアノです。
このピアノは『ヤマハピアノ竪型ホーム型』と呼ばれるもので、1930年代後半に製造された製品です。九州のお客様から処分を相談されたヤマハの販売店担当者がピアノ事業部へと相談。ピアノの情報を見た事業部の担当者が「これは相当に稀少な製品ではないか」と思い、木崎氏に情報を寄せたことで修復保存へとつながった、いわばヤマハのネットワークを通じて“発掘”された一台です。
掛川センターで修復作業中の「ヤマハピアノ竪型ホーム型」
「最初に写真が送られてきて、見たことのなかったモデルだったので『このピアノは何?』と思いました。数少ない当時の資料を探っていくうちに、これが戦前の一時期に生産された『ヤマハピアノ竪型ホーム型』だということがわかり、歴史的価値、稀少性も高いことから、お客様とのお話し合いで当社に寄贈いただく形で再生・保存作業を進めることになりました」(木崎氏)
木崎氏が再生作業を依頼したのがYPS掛川センター。担当したのはベテラン技術者の福田茂です。木崎氏と福田はハーモニープラザに展示されている大正末期製造の小型ピアノ「ピアネット」など、これまでにいくつもの稀少ピアノの再生を共に手がけてきており、木崎氏はYPS、そして福田の技術に「全幅の信頼を置いている」といいます。とはいえ今回は両名ともに「初めて見たピアノ」。製造時の資料を手繰っても詳しい資料、ましてや設計図面などは存在しません。搬入されてきたピアノを前に、まずは細部の状態を確認することから作業はスタートしました。
ハーモニープラザに展示されている大正末期製造の小型ピアノ「ピアネット」
一言でピアノ再生といっても、一般のお客様のピアノを修復・再生するのと、今回のように歴史的資料としての保存を目的とした場合とでは作業のアプローチは異なります。お客様のピアノの場合は「日常的に弾く」ことを目的にピアノの性能を最大化することを目指します。たとえばオーバーホールであれば弦、ハンマーなど内部機構は全て新しいものに変えられます。一方、保存資料は「当時のまま保存すること」が目的。このホーム型ピアノについても木崎氏からの依頼は「可能な限り部品はそのまま活かす」ことでした。
ホーム型ピアノの特徴はそのサイズです。当時の販売資料には「高サ3.00尺(100cm弱)、間口4.05尺(120cm強)、奥行1.65尺(50cm強)」と記されています。鍵盤数も73鍵と少なく、一般的なアップライトピアノでは演奏者の前にくるアクションが下に潜り込む形になっているため、オルガンのようなデザインになっています。この形は「スピネット」と呼ばれるもので、かつてアメリカ製ピアノに多く見られたモデル。高さを低く抑えた設計はジャズクラブなどで演奏する際、ピアニストの姿が観客に見えるようにするためだったといいます。
発売当時の宣伝カタログから。センターに掲載されているのが「ヤマハピアノ竪型ホーム型」
「こういう形のピアノがあることは知識として知ってはいましたが、実物を見るのは初めてでした」という福田は、搬入されてきたピアノの状態を確認するためアクション部分などを慎重に取り外して内部機構の状態をチェックしていきます。通常のピアノ再生でも部品の取り外しには慎重を期しますが、古いピアノの場合はより神経を使います。「ピンが錆び付いていたりして無理に回すと工具自体が壊れてしまったり、過度に力を加えることで周辺部分に悪い影響を及ぼすこともある」(福田)からです。
ピアノを丁寧に分解し鍵盤やアクションの動きを確認していく過程で、特に注視するのが各部品の腐食や破損状況です。なかでも“虫食い”の有無には特に注意を払います。「フェルトや木材部分など、一見きれいなようでも内部に虫食いが残っていると、それが原因で腐食が進んでしまうこともあります。わずかな見逃しが後々保存に致命的なダメージとなることにもなりかねません」と福田は指摘します。
実際、このホーム型ピアノにもハンマー部分などに数箇所の虫食いが見られました。通常のピアノ再生ならば交換を選択しますが、「できればハンマーはそのまま」という木崎氏の要望に応え、福田は部分的に削って虫食いを修復。全て既存のハンマーを活かす形で再生することを選択します。このほかにも止音のためのダンパーレバークロス、鍵盤を押した後に素早く次の打鍵ができるようにするためのバットスプリング(フレンジ)コードなどにも一般的な再生ならば交換を要するレベルの不具合が見つかりましたが、資料性を重視してこれらも交換することなく既存部品を調整。逆に展示した場合に目視できるダンパーフェルトなどは交換する、というように細かな部品一つひとつをどう作業し、いかに保存資料に適した状態にするかを木崎氏と打ち合わせながら工程を固めていきました。
写真上:修復前のハンマー。写真下:修復後のハンマー。ハンマー自体は既存のものをすべて活かし、フェルト部分を削って調整
「通常の演奏にはおそらく耐えられませんが、アクション部分など音を出すための機構はかろうじて動くことで資料としての機能は満たせました。もしこれがダメだった場合、また『演奏目的の再生』というオーダーだったら、部品の調達など作業内容、費用も相当かかる大掛かりなものになったと思います」(福田)
実際、保存資料目的で持ち込まれる稀少ピアノのなかには部品の経年劣化などで満足に音が出せないものもあります。ハーモニープラザに展示されている大正末期の「ピアネット」の再生では、低音弦の巻線の錆び付きが酷く、新たに銅線を巻くにあたって、当時の音色を再現するために弦のデータを一から測り直したといいます。
「経年劣化の影響はありましたけれど、このホーム型ピアノは持ち主の方がいかにこのピアノを大切にされてきたか、それがわかる一台でした」。そう木崎氏はこのピアノの第一印象を振り返ります。
技術者泣かせのドロップアクション
既存部品を可能な限り活かす。イコールそれは作業が簡易、あるいは作業難易度が低くなるわけではありません。部品を交換することで性能が100になるとして、既存部品を活かした場合には(演奏品質として)そこに至らないとしても、保存資料として100を目指すわけで、限られた条件の中で最高を目指すという点では同じ。むしろ部品交換せずに最大値を目指すという点で、それはより難しい作業といえるかもしれません。
ホーム型ピアノは一般的なアップライトピアノに比べ極めて小さく、なかでもオルガンのような全高の低さが特徴です。この低さを可能にしているのが「ドロップアクション」と呼ばれる機構です。一般的なアップライトピアノのアクションは鍵盤より上にあり、鍵盤を叩いた力でハンマーを持ち上げるのに対し、ドロップアクションは鍵盤より下にあるハンマーを引き上げることで弦を叩きます。ある意味“無理やり”アクションを下に潜り込ませるために考えられた設計で、その構造はやや複雑になり調整が難しいことから、一説には「技術者泣かせ」「調律師泣かせ」とも呼ばれていたといいます。
アクションが鍵盤の下に潜り込む構造になっているのがホーム型ピアノの特徴
ピアノから取り外された「ドロップアクション」
「ドロップアクションはその機構が一般のアクションとは異なりやや複雑ですが、弦を叩くためにハンマーを押し上げるのか、引き上げるのかの違いで、基本的な考え方は同じです。その点で機構自体を理解することは難しくありません。ただその調整には少し苦労しました」
福田がいうのは、たとえばネジを締める、緩める、あるいはハンマーの接地箇所など細部を調整する際、工具が入らないという問題でした。YPSの各センター(掛川、大阪、横浜)の作業工房には、ピアノの各パーツに合わせた専用の工具が揃っています。鍵盤、アクション、ダンパー調整など作業ごとに細部に分かれ、素人目には何に使うのか判別できないものや、技術者自身が自作したものもあります。それらの多くは現代の規格に基づいたもの。しかしこのピアノは生産時期が戦前のごく短い時期だったことや、戦災の影響などから資料がほとんどなく、道具に関する情報もほぼありませんでした。
「アクションを装着した状態でたとえばダンパー部分などを調整しようと思っても、今、私たちが使っている工具では、そこにうまく入っていかないという箇所がいくつかありました。おそらく当時の技術者の人たちは、私たちが知らないこのモデル専用の工具を使っていたと思います」
そう話す福田に「ではどうしたのか?」と聞くと、「それは根気よくやるしかないということですね」という答えが返ってきます。バラし、調整し、組み上げ、音を確認し、再びバラし、調整する。そんな作業繰り返したのではないか、と想像しますが、そのあまりにさらりとした答えに、「そんなことは当たり前」という。“職人の気概”を見たような気がします。
修復作業の様子。担当したのは掛川センターのベテラン技術者・福田茂
「既存部品を活かす」資料保存というミッションならではの条件は、全体のバランス調整という点でも難しい面がありました。たとえばある箇所を部品交換し完全な状態になっているとしたら、それに関わるアクションを組み込んだ際、微調整は主にアクション側で行えば良いということになります。しかし各部それぞれ微妙に問題がある場合、調整するにもAという箇所、Bという箇所のいずれに手を加えるべきか、その判断が非常に難しいからです。また数少ない新品部品を用いた箇所であるダンパーフェルトなども、単純な部品交換というわけではありませんでした。
「既存部品で適合するものがないため、サイズを測り直してフェルトをカットし、すべて自作しています。多少大きめにカットして後で削って調整するという方法もありますが、そうすると表面が美しくないんです。なので本来の止音性能もきちんと満たした上で、寸法通りにスパッとカットしなくちゃいけない。これがけっこう難しくて手間がかかるのですが、作業としてはすごく地味なので、その大変さは伝わりにくいかもしれません(笑)」と福田はいいます。
写真左:修復前のダンパーフェルト。写真右:適合する既成部品がないため、すべて福田が採寸して自作して修復