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奈良ホテル「アインシュタインのピアノ」を再生

120年前の音を探し
“ピアノの声”を聴く

奈良ホテル「アインシュタインのピアノ」を再生

1900年代初頭に製造。数奇な運命を経て持ち主の元へと戻り、今なお現役の楽器として演奏され、大切にされている一台の歴史的なピアノが、関西の老舗名門ホテル「奈良ホテル」にあります。かつてあの天才物理学者が弾いたことから『アインシュタインのピアノ』という愛称を持つこのピアノ。その修理・再生作業をヤマハピアノサービス(YPS)大阪センターがお手伝いしました。

歴史だけでなく音色も後世に届ける

1909年に開業。国賓や皇族の方々が宿泊する迎賓館に準ずる施設として運用されていたことから「関西の迎賓館」と呼ばれていた奈良ホテル。東京駅や日本銀行本館などを手掛けた辰野金吾氏設計による木造建築の本館は、日本を代表する近代和風建築のひとつともいわれています。そんな老舗名門ホテルの本館ロビーに『アインシュタインのピアノ』と呼ばれ宿泊客、観光客に親しまれている一台のアップライトピアノがあります。ホテル開業とほぼ同じ時期にあたる1900年台初頭、アメリカで製造されたピアノで、その愛称は、かつて天才物理学者アルベルト・アインシュタインが弾いたことに由来しています。

優雅で荘厳な木造建築の奈良ホテル本館。設計は東京駅などを手がけた辰野金吾氏

優雅で荘厳な木造建築の奈良ホテル本館。設計は東京駅などを手がけた辰野金吾氏 ※

1922年、出版社の招きで来日した際、12月17日から2日間奈良ホテルに宿泊。自らバイオリンを演奏するなど音楽好きとしても知られるアインシュタインは、外出先からホテルに戻った時にこのピアノを見つけると、おもむろに演奏を披露し、旅のひと時を楽しみました。ピアノの前方上部には、その模様をとらえた古いモノクロ写真が飾られています。

「アインシュタインのピアノ」と呼ばれる奈良ホテルの米国製ピアノ。壁にはアインシュタインが実際に引いた姿を収めた写真が飾られています

「アインシュタインのピアノ」と呼ばれる奈良ホテルの米国製ピアノ。壁にはアインシュタインが実際に演奏した姿を収めた写真が飾られています(演奏写真は日本文学館所蔵) ※

このピアノを語る上で、特筆すべきは今でも演奏に使える現役のピアノであることです。製造から120年以上を経過しており、仮に展示品としてそこに置かれていたとしても文化財として充分に価値ある一台ですが、奈良ホテルは「歴史だけでなく音色も後世に届けたい」という思いからピアノを修復し、調度品ではなく“楽器”として大切に使い続けてきました。そのお手伝いをさせていただいているのがYPS大阪センター。担当する技術者はベテランの喜多保幸です。

戦後、当時の大阪鉄道管理局によってホテルから運び出され※※、その後、所在がわからなくなっていたピアノが、ホテル関係者の懸命な努力により里帰りを果たし、再び現役のピアノとして稼働させるための修理が行われたのが2012年。喜多はこの修理を担当して以来、調律作業などのたびにホテルへと出向きピアノを見守り続けてきました。

「鍵盤を叩いても音が鳴らない箇所があるなど、ピアノとしては演奏できない、かなりひどい状態でした」

修理のために初めて見たピアノの印象を喜多はそんなふうに振り返ります。十分な演奏品質を保つためには部品を交換し、機構を大幅に入れ替えるという選択もありましたが、奈良ホテルからの依頼は「できる限り元の状態を遺して欲しい」「高度な演奏はできないとしても、最低限ピアノとして演奏できるようにしてほしい」というもの。まさにそれは「このピアノが奏でていた、かつての音色を後世に届けたい」というホテル側の思いからでした。当時のホテルのご担当者は、このピアノを里帰りさせるため、ピアノ前に掲示されているアインシュタインが弾く姿をとらえた写真の発掘などに奔走された方。喜多はそんなご担当者のピアノへの強い想いに共感し、難しいミッションに向き合います。

ハンマーは交換せずに不具合箇所を修復。その他の部品も可能な限り交換することなく取り外しては修理し、再び組み上げて音色を調整する、それを何度も繰り返し、どうにか演奏に耐えうる品質にピアノを修復します。

「(ピアノへの想いを知り)ご担当者を信頼しましたし、先方も私のことを信頼してくれました。だからこそ『何とかしたい』という思いが強かったですね」と喜多は1回目の大修理に向き合った思いをそう話してくれました。

ホテルの方々の努力の結晶を扱う責任

修復作業を終え現役の楽器として再生された『アインシュタインのピアノ』は、定期的なイベントなどで多くのお客様に演奏が披露され、楽しんでいただいてきました。しかし近年、ハンマーの経年劣化など演奏品質を満たすことが難しくなってきたことから、再び修復が検討されます。

ホテルの歴史の一部でもあるピアノですから、「できる限り元の状態のままで遺したい」のはもちろん「音色も後世に届ける」という思いにも変わりはありません。ただ今回、修理を行うとしたらハンマーの交換は必須条件で、当然、音色にも影響を及ぼします。難しい判断でしたが、奈良ホテルは「ピアノの本来の機能を保ちながらピアノにまつわる歴史とともにきっちりと引き継いでいきたい」とハンマー交換を伴う修復作業を決断。このピアノを最もよく知る技術者として、再び喜多の手にピアノが委ねられます。

2024年1月、『アインシュタインのピアノ』は寝屋川のYPS大阪センターに搬入され、修復作業が開始されます。「現代のものと違って特殊な部品が多く、代えが効かないので破損した時にはどうするかという心配もありました。失敗できないという緊張感はありました」と喜多がいうように、その作業は繊細な注意を必要としました。一般的な修理であれば専用工具で簡単に取り外せる部品でも、製造から120年を経たピアノだけに少し強い力を加えただけで該当部品や周囲の破損などにもつながりかねないからです。

修復作業を担当したYPS大阪センターの喜多保幸

修復作業を担当したYPS大阪センターの喜多保幸

修復のために取り外された部品

修復のために取り外された部品

今回の修理ではハンマーはヘッドの交換を基本とし、劣化が激しかった部分に関してはハンマーシャンクごと交換することを選択。また鍵盤や外装の剥がれた部分は接着によって補修して、歴史を経たピアノが持つ品格を損なわないことに注意が払われました。「演奏品質を満たす」ための部品交換は行ったものの、それは極めて最低限に抑え、「できる限り元の状態で遺す」という、もうひとつのミッションを同時に実行したというわけです。

奈良ホテルが「ピアノの音色を司るハンマーを交換せざるを得なかったため、どれくらい音色が変わるのか、期待もあれば不安もありました」というように、今回の修復でもっとも注目されたのがその音色でした。120年前の音が記録として残っているわけではなく、はたしてどのような音が正解なのか、それは誰にもわかりません。もちろんだから「何でも良い」わけはなく、喜多は音色を決定づける整音作業において「修理前の音から想像して、できる限り再現できるように」調整していきます。ピアノ修理あるいは調律作業は、「ピアノとの対話」とも表現されますが、まさに喜多が行ったのはそんな「ピアノの声」を聴く作業でした。

完成した音を喜多は「修理前は少し硬い音でしたが、今は元気のいい音になりましたね」といい、奈良ホテルからは「音がクリアになりピアノ奏者も快適に演奏ができるようになりました。このピアノの音色を次の世代にきっちり伝えていきたいと思います」という声をいただきました。

修復後の内部。ハンマーヘッド交換を基本に、痛みの激しい部分はシャンクごと交換

修復後の内部。ハンマーヘッド交換を基本に、痛みの激しい部分はシャンクごと交換

このような歴史あるピアノの修理を任される。技術者にとってその責任が重いのはもちろんですが、同時に誇らしくもあるでしょう。しかし喜多は自身の作業や技術には触れず、まずお客様への感謝を口にします。

「120年前のピアノというだけでも貴重なピアノですが、ホテルの方々があの1枚の写真を探し出してくれたからこそ、これだけ注目を集めるピアノになった。そういったピアノに関われたことはラッキーだったなと思います」

「ピアノを通じてホテルの歴史を学んでいただく機会になれば」(奈良ホテル)。大修理を終えて再び本館ロビーへと戻ったこのピアノは、これから先もお客様にその音色を披露していきます。120年以上の時を経て、お客様の前で音を奏でることができる『アインシュタインのピアノ』。奈良ホテルの方々に大切に守られているピアノを形容する時、歴史や稀少ということはもちろんですが、その前に何より「愛され続けているピアノ」と評するのが、このピアノに相応しいのかもしれません。

修復を終え、再び奈良ホテルへと戻った「アインシュタインのピアノ」。その音色はホテルのイベントやサロンコンサートなどで披露されます

修復を終え、再び奈良ホテルへと戻った「アインシュタインのピアノ」。その音色はホテルのイベントやサロンコンサートなどで披露されます ※

奈良ホテルの情報はこちらから
https://www.narahotel.co.jp/

(文中敬称略)

※ 写真提供:奈良ホテル
※※ 奈良ホテルは大日本ホテル株式会社によって開業(敷地は後に鉄道院となる関西鉄道株式会社の所有)。1913年(大正2年)から鉄道院(後の運輸省)直営となり、国営時代が戦後まで続く。大阪鉄道管理局によるピアノの持ち出しは、アメリカ軍(GHQ)によるホテル接収によって貴重な資産が流出しないための予防措置といわれている。